チャールズ・ハッチャーは16人の少年をレイプし殺害したシリアルキラーでクリスチャン少年殺害事件の真犯人として知られている。
チャールズ・ハッチャー16人の少年を殺害したシリアルキラー
チャールズ・ハッチャーは1929年、アメリカ・ミズーリ州出身。
父親はアルコール依存症で、酒乱のうえ家庭内暴力は当たり前というロクデナシだった。おまけに母親は情緒不安定という崩壊した家庭で育つ。
成長したハッチャーは当然のように犯罪者となり、窃盗や、強盗、傷害は当たり前。犯罪を犯しては逮捕されるのを繰り返し、性格は凶暴化。
そして1961年になると、遂にハッチャーは決定的な事件を起こす。複数の罪状で刑務所に入っていたハッチャーは、同じ刑務所に服役中の強盗犯の男をレイプしたうえ、ナイフで殺害したのだった。
だが、警察はハッチャーが犯人であるという決定的な物的証拠に乏しいとして、彼は通常の刑期を終え、釈放されたのだった。
そして出所した1969年には、ハッチャーは12歳の少年を誘拐して絞殺。
この殺人には理由がまったくなく、性欲を満たすことが目的でもない。ただ、何となく殺人を犯しただけだった。
次に5歳の男の子をレイプする事件を起こしたことでふたたび逮捕され、有罪となるのだが、何故か8年という短期間で仮釈放されている。
そして、1978年シャバに出たハッチャーは、またしても理由なく殺人を犯す。
殺害されたのはエリック・スコット・クリスチャン6歳で地元の政財界に強い影響力をもつ実業家の息子だった。
だが、この事件は発覚しなかったどころか、まったく関係ない別人が冤罪で逮捕されてしまう。
この時に逮捕された人物は同じ市に住む前科持ちのゲイの男性で知的障害と精神的に不安定であった事から容疑を認めてしまったのだった。
これが世にいうアメリカの冤罪事件「クリスチャン少年殺害事件」である。
そして警察の無能が引き起こした幸運は以降も続く。
事件の1年後に彼は獣姦罪で逮捕されるが、ハッチャーは精神状態が不安定であり、責任能力がないとして釈放。
この1年後に7歳の男の子の殺人未遂で、またまた逮捕されるが、精神病との診断により、精神病院への1年間の収容で済んでだのだった。
そして前述の冤罪事件。
裁判により終身刑の判決を受け事件解決かと思われていた、1982年、ミッシェル・スティール少年が殺害されたのだった。
事件直後、近隣地域にある精神病院に「アルバート・プライス(Albert Price)」名義で入院したハッチャーが捜査線上に浮かび、逮捕される事になる。
判っているだけでも5人の少年が殺害されたがハッチャーの自供によると、16人以上を殺したとの事。終身刑の判決を受けたが1984年に、刑務所内で首吊り自殺した。