チャールズ・ホイットマンは学生結婚で人生が崩壊した結果、テキサスタワー乱射事件を起こした殺人鬼だ。
チャールズ・ホイットマン学生結婚で人生崩壊した銃乱射魔!!
1941年、テキサス州で生まれたホイットマンは普通の家庭で育ったが、厳しい父親から完璧なことを求められ、期待に応えるように小さい頃から成績優秀だった。この考えは彼に大きな影響を与えることになる。
高校卒業後は海兵隊に入隊。射撃技術を示すバッジと海兵隊遠征メダルを獲得した。射撃のテストで250点中215点を獲得し、動く標的だけでなく、長距離の素早い射撃で良好な成績を修めたのだった。
やがて海軍や海兵隊の奨学金プログラムに応募し、大学を卒業して、士官を目指すつもりだった。
そしてテキサス大学に進学すると恋人ができ、二人は学生結婚。しかし、この結婚が悲劇の始まりとなる。
ホイットマンの成績は向上していたが、奨学金の受給を続けるのには成績が不十分であると海兵隊が判定した為、1962年2月に現役に戻ることを命じられる。
大学での勉学が中断したことに憤りを覚えたホイットマンは海兵隊でトラブルを起こし除隊。
その後はアルバイトを続けながら大学に戻るもアルバイトをしながら大学生活を送る事は容易ではなかった。
また、真面目に勉強しては収入が足りなかった為、仕方なくアルバイトを増やすことにしたのだが、当然のように成績が悪くなるという悪循環に陥る。
やがて、健康を損ないながら過酷なスケジュールで生活を続けていたが、彼の生活は楽にはならず、成績も更に悪化。
肉体も弱り、ストレスもたまっていった結果、慢性的な頭痛に苦しむようになってしまう。
そして1966年7月5日、ホイットマンは遂にキレる。
眠っていた妻と母親をベッドルームで殺した翌日の朝、彼は持てる限りの武器を入れたバッグを持ってテキサス大学に向かったのだった。
彼は大学内にあるテキサス・タワーの展望台に登り、受付の人をライフルで殴り殺すと、観光客に向かって銃を乱射。90mのテキサスタワーの展望台からライフルや散弾銃で、目に留まった人間を手当たり次第に撃ちまくったのだった。
警察はスナイパー乗りの航空機を出動させたが、失敗。警察官が排水口から侵入してホイットマンを射殺しました。これがホイットマンが銃撃を開始して1時間半後のことで、彼はこの間に死亡者15名負傷者 31名の人間が犠牲になったのだった。