偽ディオニュシオスはキリスト教史上に残る世紀の偽書『ディオニュシオス文書』を記した人物で、その思想は封建社会の身分秩序や教会制度の根拠付けにも大きな影響を与えた。
キリスト教史に残る謎の男・偽ディオニュシオス・アレオパギタ
偽ディオニュシオス・アレオパギタとは何をした人物か?
・『ディオニュシオス文書』の著者
・人間の魂が神に至るまでの位階論(ヒエラルキア)を唱えた
・偽書に描かれた位階論思想は、西洋中世封建社会の身分秩序や教会制度の根拠づけとして受け取られ発展していく
偽ディオニュシオスはなぜ偽と言われているのか
「偽」と付いているからには、とうぜん本物がいる。
本物のディオニュシオス・アレオパギタは、使徒パウロの説教を聞いて回心した、アテネのアレオパギ夕(アレスの丘)の裁判官だ。
偽ディオニュシオスの著作と書簡では、本物のディオニュシオスはイエスの死刑の際に起きた日食や聖母マリアの臨終にも立ち会ったと伝えられている。
本物のディオニュシオスについて判っている事はここまで。
ディオニュシオス文書の展開
偽ディオニュシオスは、パウロの直弟子として著作を記し、「司祭ディオニシオスより」と著した書簡を同僚の司祭を通じ、使徒ヨハネらに送っていた。
そして、この「司祭ディオニシオス」の著作、いわゆる『偽ディオニュシオス文書』と呼ばれる偽書が6世紀初頭に東方教会に現れる。
そして9世紀になると西方教会に伝えられたことで、中世西洋社会で、パウロの直弟子による書として受容されることになる。
3人のディオニシオス
当時、西洋の中心地だったパリ。
このパリで、最初にキリスト教を伝道したサン・ドニ修道院の開祖の名の名前がディオニシオス(フランス語でドニ)だった。
西洋中世では、サン・ドニ修道院の開祖ディオニシウス(ドニ)と「使徒行伝」に描かれたディオニシオス、そして偽書の作者である偽ディオニュシオスの3人が、同一人物であると捉えられた。
こうして、『ディオニュシオス文書』は『新約聖書』に次ぐ権威をもつ文書となったのである。
思想と影響
ディオニュシオス文書群は『天上位階論』、『教会位階論』、『神名論』、『神秘神学』の4つの著作および10通の『書簡集』で構成されている。
これらの偽書の内容は、プロティノスに始まる新プラトン派の神秘主義とキリスト教を融合させた神秘学でもあった。
偽ディオニュシオスがとなえた位階秩序(魂が神へと向かう際の9階梯)は、西洋中世封建社会の身分秩序や教会制度の根拠づけとして受け取られ、発展していった。
この偽書は、以後のキリスト教思想を神秘主義化させ、変質させたという点で、その後の中世キリスト教世界に大きな影響を与え、中世のゴシック芸術などにも継承されていく。