アントン・ラヴェイとはサタン教会の創設者でアメリカのオカルト文化を代表する人物のひとり。その見た目や肩書とは裏腹に大変モラルに溢れた人物としても知られている。
このサタン教会には音楽家や芸術家の支援者が多く、サミー・デイヴィスJrやジェイン・マンスフィールド、マリリン・マンソンなども参加していた。
アントン・ラヴェイの悪魔教と音楽に関する正しい理解。
アラヴェイが「第一サタン教会」を設立したのは1966年の事だ。
この年は悪魔暦元年という事になっており、ラヴェイの「悪魔聖書」はカリフォルニア州ではキリスト教の聖書よりも売れたという。
悪魔的声明九ヶ条
一説には、かのマリリン・マンソンが友人のジョン・クウェルとその兄の影響で一時期、この悪魔教会に入信した事があるそんな悪魔教の基本理念とは如何なるものか。
「悪魔聖書」における「悪魔的声明九ヶ条」には以下のように書かれている。
1:悪魔は節制ではなく、放縦のシンボルである。
2:悪魔は精神的夢想ではなく、力を持った実体のシンボルである。
3:悪魔は偽善的な自己欺瞞ではなく、無垢な知恵のシンボルである。
4:悪魔は愛するに値する者にのみ捧げる親愛のシンボルである。
5:悪魔は復讐のシンボルである。
6:悪魔は責任を果たすことの出来る人間への責任のシンボルである。
7:悪魔は時に高等であり、時には下等な動物の一種としての人間のシンボルである。人間は神が授けた精神と知性によって、すべての中でもっとも悪意に満ちた動物になってしまった。
8:悪魔はすべての罪悪のシンボルである。罪悪は肉体、精神、感情のすべてを満たすからである。
9:悪魔は悪魔教会の最高の友人であり、悪魔は教会の繁栄と守護を担うものである。
悪魔教会と聞くと、淫祠邪教的な判りやすいカルト宗教といったイメージを思い浮かべるが、これを読む限りは単なるキリスト教へのアンチテーゼであり皮肉を目的としたものである事が判る。
特に第三条を読む限りではグノーシス主義の影響も見受けられる。
それもその筈で、アントン・ラヴェイ自身は悪魔を崇拝してはいなかった。
メンバーとの衝突
自称・悪魔主義者たちの悪魔を祀る儀式を見ると、彼は「サタンとは実に複雑なものであって純粋に象徴的なものである」と諭していたという。
ところが、これが他のメンバーには全く理解されず、それどころか悪魔崇拝の儀式を行わないラヴェイに不満を抱いたメンバーは悪魔教を1970年に離脱しエジプトの神殿のような祭壇を作って悪魔を崇め奉ったという。
アントン・ラヴェイの悪魔教とは信念ではなく、ニーチェの超人思想などをベースにしたアンチ宗教という思想体系である。
また、ラヴェイは架空の神話体系であるクトゥルフ神話に縁のある「ウィアード・テイルズ」の作家たちにシナリオを書かせたパロディ的な儀式を行っていた。
この事からも通常の悪魔崇拝とは基本的に発想が異なる。
破産
そして1970年代半ば、派手な儀式を持たない悪魔教会は下火になってしまう。
分裂した魔術カルトなどに信者を引きぬかれたうえ、デマを流された事で教団が破産。
完全に機能不全となり、すべてが嫌になったラヴェイは80年代には完全に人付き合いを断った引きこもりになってしまう。
一方で「悪魔の聖書」をはじめとする彼の著書は版を重ね、静かに人気を博す。
そして、80年代半ば、著書に感銘を受けたインダストリアル・ミュージックのボイド・ライスがラヴェイに接触。
彼を元気づけようと悪魔教会に入り交流を重ねた。
ボイドが入団したことでブラックメタルのマーシフル・フェイトのキング・ダイアモンド
元ソフトセルのヴォーカル、マーク・アーモンドなど有名ミュージシャンが次々と入信。
彼らと交流を重ね、次第にラヴェイは元気を取り戻していったという。
復活とラヴェイの曲
なお、ラヴェイの信者には音楽関係者が多い。
実際にキーボードに関してプロからも絶賛されるほどの腕前で数多くのアルバムを発売されている。
かくして、アントン・ラヴェイと悪魔教会は復活し1992年には新著「悪魔のノートブック」を出版。
1994年にはマリリン・マンソンが入団し、ラヴェイの息子が大ファンだった事から「マスター」の称号を授けられた。
マンソンが加入したことで「悪魔の聖書」や機関紙「ブラック・フレーム」の購読者も増加したが、ドラッグ大好きなマンソンに対してラヴェイはドラッグの使用に大反対だったという。
しかし、その三年後にラヴェイは死亡。
そんなラヴェイの曲がこちら。
悪魔教や悪魔の聖書を読んで連続殺人を犯したり、ドラッグにハマる連中は数多い。
だが、問題を起こすのは常に「よく判ってないけど、行動力だけはあるバカ」であると個人的には思う。