アブラハム・アブラフィア!カバラで教皇を改宗!

アブラハム・アブラフィアカバラは13世紀の神秘家。カバラを用いてローマ教皇を改宗させようとした人物で、最初の実践的神秘主義カバリストである。

カバラで教皇を改宗!アブラハム・アブラフィア

アブラハム・アブラフィアとは何をした人物か?

・限られた者にしか伝えられなかったカバラを誰でも学べるように多くの著作を残した
・ローマ教皇ニコラウス3世を説得しユダヤ教に改宗させようとした。

経歴

ユダヤ教徒の家庭に生まれたアブラハム・アブラフィアは生まれて間もない時期に、ナバラのトゥデラ(現在のスペイン)に移住。
18歳のときに父サミュエルが亡くなると、その2年後にアブラフィアは放浪の旅に出る。
10年余りの放浪の旅で、アブラフィアは哲学とカバラを学び、とりわけ中世最高のユダヤ教学者マイモニデスに心酔。

スペインに戻った彼はスペインのバルセロナへ移りカバラの研究に励む。
当時のスペインでは、南仏プロヴァンスから伝わった新しい神秘主義の研究が進み、広く人々にカバラの教義を知らせる努力が行われ始めていた。

そして彼は、それまでのカバラが限られた者に密かに伝えられる秘儀であったのに対し、だれであれその気があれば自ら学びえるカバラを提唱する。

その方法を示唆する数多くの手引き書を著し、ラビ・トガルミーから『創造の書』を学び、また彼の神秘的な技術などを教わった。そしてこの地で、ついに新しい自分自身の方法「名の道」を見出す。
これは、文字の置き換えと組み合わせにより、神の知力と魂の最終的発現へと、秩序正しく向かっていく瞑想法である。

そして神の意志を確信し、その神秘主義理論を深め、瞑想の実践方法をより系統だったものへと高めていく。

やがて、ヨーロッパ各地でユダヤ人への迫害が拡大の気配をみせると、自らの新しい教義の宣教に努めていった。

処刑

1280年、アブラフィアはユダヤ教のメシアとして、ローマへ赴こうとした。
これはカタロニアのカバラ研究の中心であったモーセス・ベン・ナハマンと背教者との論争書に刺激を受けたもので、ユダヤ人への迫害を改めるよう、ローマ教皇ニコラウス3世を説得し、ユダヤ教に改宗させるためであった。

当然のことながら、この行いは教皇の怒りをかい、火炙りの刑を宣告されている。

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