マイスター・エックハルト,ドイツ最大の神秘主義者とも言われ,後にラインラントなどあらゆる社会層から多くの信者を獲得し、中世の宗教運動を巻き起こす原因の一つとなった。
ドイツ最大の神秘主義者マイスター・エックハルト
マイスター・エックハルトとは何をした人物か?
・中世ドイツの神学者
・「神は無である」と説いた為、異端宣告を受ける
マイスター・エックハルトの経歴
1260年,ドイツのチューリンゲンに生まれたエックハルトは、ストラスブールとケルンで学んだ後、パリ大学でマイスターの称号を得る。
その後はボヘミアンで伝道を開始。ドミニコ会のザクセン地区管区長やボヘミア地方副司教などの要職を歴任したエックハルトは、やがて説教者としてその才を発揮する。
彼は聖職者にはラテン語で説教を行っていたが、一般の人々には通常のドイツ語で語りかけていた。
聖書の内容は、一般の人々にしかも母国語で説教をするというのは、当時としては珍しいことで、たちまち人々を魅了する。
なお、後に農民戦争を主導するミュンツァーもこの手法に倣っている。
だが、そこで彼が唱えていた神学は「神は無である」という事だった。
神は人間の認識の範囲を超えた存在であり、一切を超えている。
そして、神はすべての中にあって同時にすべての外にある。人間も無から引き出された被造物であるから、神と被造物との間に本質的な違いはなく、自らの内に神の本質の閃きを持っている。
そして、自らを空虚にすることによって、キリストのように神と一体となり、神との合一に達することができる、と説いたのである。
だが、「神は無である」という教えは、儀礼に基づくカトリックの信仰生活を軽視する印象を与えた。
このため、晩年には異端審問にて告発され、1329年にはヨハネス22世によって著作が異端として宣告される。
その後の影響
しかし、生前の彼は思索家というより実践家であったとの評価もある。
また、エックハルトが所属していたドミニコ会は異端審問官を数多く排出した会でもあった。
当時隆盛していたスコラ学の行き過ぎた合理的神学からの解放を目的としたものである、という説もある。
生前、彼は告発者たちに向かってこう言っている。
「自分で理解できないことを誤りと見なし、すべて異端と判断するが、実は、誤りにしがみつく者こそ異端であり、異教徒なのだ」
その思想は、直弟子のヨハン・タウラーやハインリヒ・ゾイゼらに影響を与えたほか、ラインラントやドイツのあらゆる社会層から多くの信者を獲得、大衆的な宗教運動の原因の一つとなった。