パラケルスス,錬金術師にして医療の改革者

パラケルススは16世紀の医師。錬金術師で神秘思想家。錬金術師の代名詞的人物だが、彼の著作に錬金術のみに言及したものは少ない。
本質的に医術者であり、権威主義的だった大学に対して医療改革の必要性を繰り返し唱えた。

パラケルスス伝説の錬金術師

パラケルススとは何をした人物か?

・16世紀の医師で錬金術師
・古今東西の医学や錬金術を学び それらの知識を綜合。
・権威主義だった大学と医学界を批判

パラケルススの経歴

パラケルススは、スイスの山村アインジーデルンで生まれた。幼少時代の詳細は不明だが、早くに母を亡くし、父と子はやがてケルンテンの鉱業の町フィラッハへ移り住む。

父親は医師であったが、当時の医師の生活は裕福とはいえず、「貧困とひもじさで若い時代を消耗してしまった」と彼は後に回想している。

だが、この生活で父親から医療器具や薬品の扱い方、薬草の採集や調合などを実地で学んでいくことで医師を志す。

パラケルススは、いくつかの大学を巡り、当時の医学部の名門フェラーラ大学で学ぶ。
この大学で彼は、ギリシアやアラビアの医学の古典作家たち、ヒポクラテスやガレノス、アヴィケンナなどを研究。

だが、大学での解剖や実験はすでに形骸化しており、父親のもとで具体的な研究になじんでいた彼にはつまらないものに見えた。

だが、ここで医術の改革者ジョヴァンニ・マナルディと出会い、彼から外科医学の重要性や薬物学、そしてルネサンスのネオプラトニズム思想を授かる。

放浪の旅

1516年になると、ヨーロッパ全土をまわる放浪の旅が始まる。

医学博士のもとにだけでなく、理髪外科医や浴場主や学識ある医師だけでなく、黒魔術師や錬金術師や修道僧のもとにも、身分の高い者や賤しい者、あるいは熟練した者や素人のもとにも訪れては熱心に医学の研究を行っていた。

貧者のために、ほとんど無償で治療することもあり、彼は自らの経験によって得た知識を『ヴォルーメン・パラミルム』にまとめ、従来の医学解釈とともに、5種類の病因に対する5つの治療法の分類を行った。

宇宙と人間が照応するという占星術的宇宙観から天体の影響を病因のひとつとし、錬金術的思考のもと、水銀を用いて体内の毒素を分離し排出するという治療法が述べられている。

また現代の精神病にあたるものを霊的な病気と考え、呪詛や呪文が病気に与える影響を警告している。

改革と追放

1527年、バーゼル大学医学教授兼市医として招かれる。

当初は伝統に従いラテン語で講義をしていたが、やがてその慣習を破りドイツ語を使うようになる。
学生ばかりではなく、医学を志す全ての者が理解できるようにと考えたからである。

しかし、権威を重視する大学にとってはパラケルススの行いはスキャンダルそのものだった。

加えて彼は、医師の権威主義と時代遅れの伝統医学を攻撃するパンフレットを貼り出し、にせ薬を投与して金儲けに走っていた薬局を摘発。

更に古典として崇められていたアヴィケンナの「医学典範」を火中に投じた。 

やがて、最初は見向きもしなかった学生たちも、彼の豊富な知識や技術、倫理的態度に魅力を感じ、講義は大盛況となった。

これに対し大学側は露骨な攻撃を行い、パラケルススは1年足らずでこの地を去ることになる。

彼はふたたび放浪の生活に入り、各地に逗留しながら膨大な量の著作を残した。
なお、彼がパラケルススの名で著作を書くのは、1529年からである。

そして、長い放浪生活の果てにザルツブルクにて客死。

19世紀の調査で彼の頭蓋骨に亀裂の入った孔が発見され、暗殺説や別人とする説もあるが、死因は不明のままである。

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