「誰とでも仲良くしてはいけない」という当たり前の事に気付くべきだ。

誰とでも仲良くするべき、と誰しもが言われた事がある筈だ。それは面倒事を避けるための方便であって、本当に伝えるべきは「誰とでも仲良くしてはいけない」という事なのだ。

「誰とでも仲良くしてはいけない」という当たり前の事に気付くべきだ。

silhouette photography of person in front of window

オンラインにしろオフラインにしろ、世の中には他人を恨み、粘着し、ひどい猜疑心を持ち、陰口を吹いてまわる事を生き甲斐にしている人間がいる。
当然の事ながら、こういった人間に更正を期待するだけ無駄。関わった時点で何らかの被害に遭うというのは分かりきっているので、私たちができる唯一の対策は、完全に縁を切り、何があっても関わらないということを徹底するだけだ。対話するだけ時間の無駄。

その為、TwitterなどのSNSでは積極的にブロック機能などを活用し少しでも不愉快に感じたら即ブロックするべきだと思うのだが、ネット上では相手をブロックする事が憚られる風潮が一部である。往々にして文句を垂れているのはブロックされた側なのは滑稽だが、有名人、特に言論系の人間はそうした批判を受けることが多い。彼らを批判する理由の際たるものは「多様な意見を受け入れろ」だが、これほどおこがましい意見はない。

無論、喧嘩を仕掛けられた側にも問題がないとは言わないが、面識もない相手に向かっていきなり喧嘩をしかける相手の方がどちらかといえば常軌を逸しているとしか思えないし、自分の陰口を吹聴して回る人間に嫌悪感を抱くのは当たり前だろう。
直接喧嘩を仕掛けてくる相手ならともかく、自分の陰口を吹いて回る人間と繋がってどうする。
こんな人間と話をしたところで、彼らは表では友好を説きながら、裏では陰口を叩いて自分の評判を陥れるのは目に見えている。

嫌いな人間は徹底的に切れ

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陰口や裏工作ばかりするような人間にはフェアプレイという考えは根底から欠落している。彼らは自分の利益になることならば何でもする。結局は自分が気持ちよくなりたいだけだ。

そもそも、相手を誹謗中傷しておきながら、いざ自分が批判されると文句を垂れ流すというのは「自分は絶対にフェアプレイをしないが、相手にはフェアプレイを強制する」と言っているようなもので、たいへん人品骨柄が卑しいと言わざるを得ない。

相手の一方的な言い分に乗る必要はない。相手はは、自分の利益の為に奔走しているだけだ。
ネットというのは、このような醜悪で薄気味悪い人間と関わり合う機会が加速度的に増えるので、我々は常にこうした人間に悩まされている。

だからこそ、私たちは「人間関係を大切にする」ということと同じくらい「不要な人間関係を徹底的に切る」事も重要だ。

「好き」と同じぐらい「嫌い」を積極的に伝えるべき。

この世から醜悪な人間が消え去る事はない。少し拒絶したところで、数日もすれば、また沸いて出てくる。やりすぎなぐらいで丁度良い。直接的に抹殺出来れば良いのだが、残念ながらそんな事が現実的に出来る筈も無い。

心の中で「一日でも多く苦しみ、そして一日でも早く死ね」と祈りつつ(直接、口に出してはいけない)関わってはならない相手を徹底的に切っていく事が重要だ

「誰とでも仲良くしてはいけない」という当たり前の事

woman showing left hand with wedding band

小学生の頃、とにかく仲の悪い奴が居た。理由は判らないが、とにかくお互いの一挙手一投足すべてが気に入らない。どちらかが口を開けば舌打ち、殴り合いの喧嘩も一回、二回ではない。

何故そんなに仲が悪いのか、理由は判らない。多分、それは向こうも判らない。兎に角、互いが嫌いだったのだ。

おそらく、理由なんてないのだろう。

「そこに存在しているだけでムカつく」

きっと、お互いにそう思って居たはずだ。

無論、こんな事を続けていればお互いが消耗するばかりで不利益しかない。かといって今さら仲良くするのも無理な話だ。そこで我々はどちらが言い出した訳でもなく「お互いを無視しあう」ことに決めた。
「話さない」「近づかない」は当たり前で「お互いは存在しない人間」として、徹底的に不干渉を貫いたのだ。
じつに平和的な解決法だろう。互いに沈黙しあうことで平和が訪れるのだ。

今にして振り返ってみても、お互いに学校という閉鎖空間で出来る最大限の「大人の対応」だったと思う。
同級生達からは賞賛とともに受け入れられたのだが、一人だけ納得しない人物が居た。

担任の女教師だ。言い分はこうだ「どうして無視し合ってるの?仲良くしなきゃダメでしょ!」

繋がりすぎてはいけない。

blue rope tied on brown rope

ふざけるな。仲良く出来ないから無視し合ってるんだ。口を開けば喧嘩になるから、互いに沈黙してるんだ。

喧嘩するほど仲が良いとでも思っているのか。喧嘩するたび仲良くなれると思っているのか。
そんな安っぽいドラマみたいな展開などある訳ないだろう。

どれだけコミュニケーションを取ろうが、分かり合えない奴とは何をやっても分かり合えない。それどころか、互いに嫌悪しあってるので距離を置きたい。それの何が悪いのか。平地に乱を起こしたいのかキサマは。

まあ、教師に言われたところで仲良くする訳もなく、その後も互いに無視しあっていた訳で、この話はそれ以上ないのだが、こういった「誰とでも仲良くしなくてはいけない」といった思想は彼方此方に蔓延している気がしてならない。

こうした原因を突き詰めていくと、やはり学教教育にあるとしか思えない。
幼稚園から大学まで、「誰とでも仲良く」つまり「集団の和を乱すな」という事をずっと教育し続け、それは大人になっても続く。この言葉は一見すると美しい。しかし実態に即していない。

こうした「集団の和を乱さず、(とりあえず)仲良くしろ」といった教育は往々にして被害者側に一方的な忍従を強いる場合が殆どの様な気がしてならない。

僕らの場合は兎も角、そもそも「誰とでも仲良くする」事が不可能なものであることは少し考えれば分かる事だ。


どの様な思想を持っているのか、どの様な宗教なのか、どの様な性癖を持っているのか、そんな事が判るわけがない。もしかしたら、生まれつき心の壊れたサイコパスかもしれない。

それは極端かもしれないが、「誰とでも仲良くする」というのが、場合によっては不可能であることに気付く。
それなのに教師だけでなく、日本人の殆どが、「誰とでも仲良くしなければいけない」と思い込んでいる。

世の中、善人ばかりで構成されているわけではない。考えればわかる事だ。
心の壊れた人間と長く関われば、いずれ必ず被害に遭う。

極端な話、川崎の中一男子殺害事件や尼崎事件や愛犬家連続殺人事件などが典型だが、結局は心の壊れた異常者と繋がってしまった事が問題ではないのだろうか。
殺される前に殺す事が出来るのならば幸いだが、現実にはそう上手くはいかないので私たちに出来るのは、相手を自分から遠ざけて、徹底的にブロックしておくという事ぐらいだ。

と言うか、Twitterなどで散々に異常な人達の行動、言動を日々見ているのだから、そろそろ「醜悪な人間は切る」ということを覚えるべきではないだろうか。

既に壊れきっている人間の性格が変わることはほとんどない。言ってしまえば、クズは死ぬまでクズ。
相手が変わることを期待するだけ無駄。拒絶するのが最善の手だ。

話せば分かるといった淡い期待もするべきではない。

感情で動いている人間に、理屈が理解できるわけがない。下手に諭せば、逆恨みされるだけ。
マイナスに落ちた人間の内面は非常に危険だ。そもそも、このような人間と関係ができること自体がリスクの塊でしかない。

少しでも、そんな人間と関係ができてしまったら、その関係を全力で断ち切らなければならない。
そうしないと、遅かれ早かれ被害が自分に及ぶ。

あなたがSNSをやっているのなら、フォローするよりも先にブロックするぐらいで丁度良い。

もしも、あなたが学生ならば、孤独なぐらいで丁度良い。

誰とでも仲良くしてはいけない。本当に大切な人にだけ感謝を伝えよう。

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