社会人になってから うまくいかない、毎日孤独でつまらないと感じる事はないだろうか。言われてみれば学生時代、周りとも何やかんやとうまくやって来れた気がする。
しかし、社会人と呼ばれるようになり毎日毎日仕事と家庭と同じ生活をしているハズなのに、なぜか上手くいかない。
そんなあなたに僕が感じる社会人のうまくいかないと感じる原因を伝えたい。
社会人になると孤独で毎日つまらないと言うが、そもそも社会人という言葉をやめないか?

そもそも社会人としての立場というものが非常に曖昧で厄介な物だ。学生からサラリーマン等になり、通う場所は学校から職場になり、誰に何かを教わった訳でもないのに「いつまでも学生気分でいるな」とか嫌な上司のテンプレみたいな奴までいる。
そもそもいきなり社会人なんかになれねーよと言うのが僕の主張だ。
突然聴いたことない謎マナー、謎ルールを押し付けられて、それに順応した人間じゃないと受け入れてもらえない。
それが上手くいっているのが社会人合格の方々だろう。
このイキナリ社会人選手権に表彰されないと、マナーやルールの分かってない学生気分で就職した若造扱いされる。この扱いは時間が経っても中々消えてくれず、出世まで響いてしまう可能性も否定出来ない。
こんな意味不明な常識はとっととなくなって欲しい。
人間関係が希薄すぎる
職場の人間関係ってものに満足しているだろうか。もちろん良い先輩、良い上司はいると思うが、彼らはあなたに何を与えてくれるだろうか。
親身になって話せる内容とすれば仕事の事のみで、友人のように話せる間柄ではないだろう。そして本来の友人たちとは仕事が忙しくなり中々会えず、気が付いたら1人また1人と会えなくなっていく。
これでは人間関係は希薄の一途を辿るに決まっている。
新しい人間関係を築こうとするも、仕事が忙しかったり学校以外で人間関係を築いて来なかった人からすれば、どうやっていいか分からなくなる時もあるだろう。
職場の人間関係だけでは、疲弊する事は当たり前だ。
仕事がそもそも合ってない
もともとやりたかった仕事ならそんなことはないだろう。しかし、この不況の時代に公務員が人気な理由を考えれば分かると思うが、ほぼ全員が安定を求めている。
ちなみに公務員の仕事は安定していると言われているが、マジでめちゃくちゃつまらないぞ。職種によっては上下関係バキバキにうるせえ人も多いので、挨拶だとか飲み会だとかクラブだとかやたらと誘ったりしてくるからよけいタチが悪い。
安定した職業とはいえ、そもそもの仕事内容が自分と合ってなければ上手くいくものもダメになる。
学生時代と比べて社会人生活がつまらない理由と解決策
学生時代は毎日が楽しかったのに、社会人になってから毎日を楽しめない、将来を前向きに考えられない、という人は少なくない。実際に社会人になって仕事をするようになってから、学生時代は良かったと過去を懐かしむ人は多いのだ。
ここでは社会人になるとなぜ毎日がつまらなくなるのか解説している。また少しでも人生を楽しむコツについても言及している。
社会人ゆえの苦労とは

社会人になって働くようになれば、毎月給料を貰うことができる。これは社会人最大の楽しみであり、そのお金を使ってさまざまな目的や夢を実現できるのだ。
勉強はいくら頑張ってもお金にならないのに対して、お金になるのが仕事をする最大のメリットである。それでも社会人はつまらないと感じてしまう大きな理由は、連帯責任を問われることだ。
学生時代の責任はあくまで個人責任であり、たとえば勉強をせずに成績が落ちても留年しても自己責任である。しかし仕事の場合は自己責任では済まされず、同僚や上司を含めた会社全体の責任となるため、学生時代とは受けるプレッシャーが違うのだ。
また社会人生活が長いことも、毎日をつまらなくさせる原因と言える。
たとえば大学生であれば4年間または6年間といった学習期間が設定されているが、社会人生活は40年以上も続くのが普通である。学生時代と比べて圧倒的に長いからこそ、気が滅入ってしまうのだ。
さらに社会人になると学生時代のように安易に仕事を休めなくなる。
大学生のころであれば二日酔いがつらいときは、自己判断で講義を休むことが可能だが、社会人になるとそうはいかない。
ちょっと体調が悪いくらいでは、なかなか休めないのが現実である。
学生は個人主義であるのに対して、社会人になって会社に属する状態は集団主義だ。
会社の看板を背負って生きていく必要があり、休日といえども仕事のことが気になって本気で楽しめないという人は多い。
毎日を楽しむための具体的な解決方法とは
社会人には社会人ゆえのメリットもある。お金とは夢を実現させるための道具だ。
学生時代と比べて圧倒的な経済的ゆとりが生まれ、趣味・娯楽に使えるお金に余裕が出てくる。
社会人の休日といえば主に土日だが、休みが少ないからこそ休日のありがたみがわかるのだ。
すると休日は密度の高い時間を過ごそうと工夫するようになるはずだ。少し意識を変えるだけで、社会人生活は大いに楽しむことができるのである。
社会人生活を楽しむかどうかは自分次第
社会人になると会社の一員としての連帯責任が生まれる。学生時代のように気軽に休めないし、自由のきかない生活が40年以上も続く。
社会人になって毎日を悲観的に考えている人は多いが、経済的ゆとりができること、時間の大切さを認識できることは社会人ゆえのメリットだ。
結局は社会人生活を悲観的に考えるのも充実させるのも、すべては自分次第なのである。
社会人になると孤独感がヤバいのはちゃんと理由がある

社会人になって、これまでに感じたことがない孤独感に襲われている人はいないだろうか。職場には多くの同僚や上司がいたり、取引先や顧客もいるのに何故に孤独を感じるのだろうか。
仕事ができないから、経験が浅いから、仲間に受け入れられていないから、いろいろな想像が頭を巡るが、別にその人だけに限ったことではない。社会人になると誰もが感じる孤独の理由を考えてみよう。
社会人になって孤独を感じても、自分だけが相手にされない、仕事ができないからだなどと気に病む必要はない。誰もが感じる道である。
社会人になって、これまで感じたことがない孤独感に襲われている人はいないだろうか。
誰も味方がいないように感じたり、自分だけが取り残されているように感じたり、自分だけが置いてきぼりになって相手にされていない感じがするものだ。
自分が未熟だからか、仕事ができないからか、性格が悪いからかと悩む人がいるが、社会人になった時の孤独は誰もが感じるものであり、ちゃんと理由があるのだ。
親の保護から離れる
学生までは親や家族と過ごし、一人暮らしをした人でも親の仕送りなどサポートを受けてきたはずだ。常に子ども、未成年、学生といったポジションで、家族を中心とした大人に守られていた。
それが就職して一人前の大人として扱われるようになり、親からの仕送りもなくなる。
これから自分一人で生活していかなければと思うと、誰もいない1人の部屋で不安で仕方なくなり、孤独を覚えやすい。
学校のクラスや先生から離れる
社会人になるまでは学校という組織の中にいて、クラス単位で活動を共にしてきた。社会人になると職場の同僚や上司だけでなく、取引先や顧客など多彩な人材と接する。
年代もさまざまであり、人事異動や転職、退職などで入れ替わりもあり、人間関係は常に流動的である。
1年間も何年間も一緒の友達、見慣れた先生のもと、先生たちのサポートを受けながら過ごす時代は終わった。学校のような限定的で閉鎖的な組織とは異なり、会社はより開かれた世界だ。
開かれた世界だからこそ、孤独を感じやすくなる。
関連のない人たちの集まり
会社というのは、同じ年齢、同じ地域の子どもといった一定の共通点があった学校生活とは異なり、年齢も住んでいるところも家族構成も、出身地や出身校もバラバラな人の寄せ集まりだ。
共通点が少ない人たちが集まっているからこそ、孤独を感じやすいのだ。
結果が求められる責任感の違い
社会人になって初めて本格的な仕事を始める。しかも、仕事に対して責任を負い、お金をもらうという対価と引き換えに労働力を提供する立場になる。
学生時代は責任などなかったはずだ。
先生や親がお膳立てしてくれ、決まったカリキュラムのもと学んでいれば良かった。勉強ができようが、希望する学校に合格しようが、それは自分の問題であり、結果を出せなくて慰めてもらうことはあっても、使えない奴と卑下される心配はない。
企業は収益をあげ、お金を稼ぐことが目的であり、結果が出せない人間は不要だ。
プレッシャーがかかってくるからこそ、孤独感を感じやすいのだ。
そもそも社会人というカテゴリーが間違い
社会人になって孤独を感じても、自分だけが相手にされない、仕事ができないからだなどと思い込んで、気に病む必要はない。
学生から社会人になれば、誰もが感じる道である。
親の保護から離れ、学校のクラスや先生という閉鎖的な学校組織から離れ、共通点がない関連のない人たちの集まりの中に身を置けば、誰だって孤独を感じる。
しかも、学生時代とは異なり、結果が求められ責任が生じる以上、プレッシャーの中で孤独を感じるのは当然の摂理だ。
そもそも、就職したからといって、突然何かが出来るようになるワケもなく、かといって学生でいる訳にもいかない。
そんな状態で「社会人」というカテゴリーは本当に必要なのだろうか。社会人となり上手くいかないと悩んでいる人は、自分を責める必要はない。
今変わるべきなのは社会人としての凝り固まった日本の常識みたいな謎ルールの是正が必要なのではなかろうか。